マイ・スウィート・ビーンズ

齋藤崇治。東大博士課程で政治学を研究しています。

「数行の言葉で理論を理解した気になりたい怠惰」と戦う 初めてのフォーマルモデル講義体験記

私は現在カリフォルニア大学バークレー校で客員(学生?)研究員という身分を得て研究を進めつつ先生方のご懇意で授業を受けている。恥ずかしながらゲーム理論の講義をとってガッツリコミットしたのはバークレーが初めてだ。秋学期に応用篇をとり、春学期に基礎篇をとった。今回の留学の中で最大の収穫はガッツリゲーム理論の授業にコミットしたことだと思うので思ったことをつらつらと記したい。

 

なお、言葉遣いはかなり雑なのはあくまで雑感なので許してください。

 

政治学で使われるゲーム理論を理解することとゲーム理論を学ぶこととの微妙な違い

政治学をやっていればゲーム理論を見たことがないということは早々ないであろう。日本でも幾つか教科書が出ているから最早とっつきにくいものでもない。ちなみに以下の浅古先生の本はとても気に入っていて、アメリカに持ってきた本数冊のうち一つに入っている。

www.bokutakusha.com

 

さて、政治学で使われるゲーム理論を勉強する時、2つの側面があると思っている。それは、政治学上の理論に対するゲーム理論の応用を学ぶという側面と、ゲーム理論上の重要な理論を学ぶという側面だ。後者は例えば囚人のジレンマであり、前者は例えば安全保障のジレンマに対する囚人のジレンマの応用である。

 

そのため、ゲーム理論の教科書には2通りある。一つは政治学上のトピックを中心に据える教科書であり、もう一つはゲーム理論そのものの主要理論を扱う教科書だ。述の浅古先生の教科書は、前者に該当する。当然といえば当然だが、政治学ゲーム理論を勉強しようと思った場合、このタイプの教科書から入る場合がほとんどであろう。洋書でもGehlbach先生の本はこのタイプである。こちらも私は好きでiPadに入れている。こちらの方が遥かに硬派であるが、それでもなお応用という部分に力点をおいていることは変わらない。

www.cambridge.org

 

しかし、これらはあくまでゲーム理論政治学への応用を説明したものであることに注意しなければならない。これは、本の良し悪しではなく、そういうものである。(浅古先生もはっきりと序章で書いている。)結局、ゲーム理論そのものを勉強しなければ分からない部分というのはどうしても出てくる。

 

ではゲーム理論として理解するとはどういうことか。それは、前提と数式から導かれる帰結を丹念に辿ることである。それは当然各種のお約束ごとを学ぶということであり型を習得するということである。しかし、これは「数行の言葉で理論を理解した気になりたい怠惰」にとってはストレスフルなものである。式と式との関係を取り結ぶものは政治現象への直感的理解ではない。あくまで数学上の約束事である*1

 

ゲーム理論ゲーム理論として理解するために読みたい教科書

まず、ゲーム理論として勉強しようと思った時に簡単に概略を掴める動画は既にある。教科書読んで挫折した人はまず、Spaniel先生の動画集から分からなかったところだけ見ると良いだろう。

www.youtube.com

 

そして、ゲーム理論を勉強するという観点からすると政治学には優れた教科書がある。例えば、McCarty先生の教科書は、政治学のトピックを扱いながらも、ゲーム理論の主要理論を理解していくというスタイルをとっている。そのため、構成は一般的なゲーム理論教科書に沿ったものになっている。また、言葉による説明が多いため、どのような順序で物事を説明していくか極めてわかりやすい。特に、Ch. 8 Dynamic Games of incomplete informationは個人的に好き。ただ所々数理上の前提が分からない部分がある(ここがなんだかんだ重要である)ので、一般的なゲーム理論の教科書とセットでやると良いと思う。

www.cambridge.org

 

ゲーム理論を理解しようとすると、当たり前だがいよいよゲーム理論の教科書を読むしかなくなってくる。これに関しては経済学部の方々の方が遥かに詳しいだろうから彼らに任せたい。

 

とはいえ、一冊あげるなら、最近、授業のお供にフル活用しているのがPeters先生の教科書だ。私はこの教科書を非常に気に入っていて、必要な定義の数学的記述と数学的記述の言語による説明のバランスが極めて良い。おそらく、相当苦手な人に説明することをベースに論理展開を示していて、一歩一歩理解するのにちょうど良い。また、必要な定理の説明も充実している。私が今学期最も理解に苦労したものの一つが「SPNE outcomeとSPNEの違い」だが、この本はこの問題について非常に分かりやすい説明を与えてくれている。そして、McCarty先生の教科書を読んで曖昧に感じられたところは大体これで解決した*2

www.springer.com

 

今のところ、私たちのゴールは政治学におけるゲーム理論を理解することなので、McCarty先生の教科書を理解することを目標に、Peteres先生の教科書を読むというのが良いような気がする。本当はもっと教科書を紹介したいところであるが、むやみやたらに教科書を読んでも仕方がなく、またPeters先生とMcCarty先生の本をえらく気に入ったので、私はこれらをベースに研究へと繋げていきたい。

 

政治学における方法論

政治学の良いところは雑食なところだと思っている。片方の極には歴史分野で戦う研究者がおり、もう片方の極には統計分野で戦う研究者がいる。また、対象とする地域も人によって様々だ。基本的に、「みんな違ってみんな良い」学問である。

 

とはいえ、雑食ということはどうしても体系性の上で弱点に繋がる。例えば、高度な計量分析が求められる心理学では計量分析の勉強が欠かせず、緻密な史料読解が求められる史学では史料批判の勉強が必要なように、政治学を勉強する人はどこかで方法論の体系的な勉強をしておいた方が良いだろう。しかし、それは現状ではこうした勉強は多くの場合「自助」に委ねられている。政治学が雑食である以上、定性、フォーマル、定量の基礎はいずれも勉強することが望ましいだろう。政治学を専攻する多くの院生の宿命だが、こうした雑食性を理解して、しっかり体系だったマイ・カリキュラムを構築する必要があるのは言うまでもない。 

 

今回は授業の感想という体を取りつつ、本の紹介になった。とは言え、ゲーム理論の各種約束事というのは数式を眺めてその意味を理解することによってしか習得できない。この手間かかるプロセスを効率よく可能にするのはやはり授業・宿題によってだろう。フォーマルモデルの習得に強制的に時間をかけるという点でやはり授業をとって正解だったと思う。

 

 

 

 

 

 

*1:一方で、ある程度応用で研究をしたいと決めている人にとって、どこまでナッシュ均衡の背後にある諸定理を理解するべきかは一概に言えない部分な気もする。それは、因果推論を研究に取り入れる人が、どこまでその数学的説明を理解するべきかと言う問題と同様であろう。

*2:あとはバークレーの授業と院生TAによるセクションが本当に分かり易かった。この機会に本当に感謝したい。